2015年ドイツ旅行3日目:ライン川下り~ザンクト・ゴアー~ハイデルベルク
2015年4月24日(金):3日目
昔よく家族で泊まった信州のペンションに似た空気感を味わう朝。
半分ペンションのようなホテルなので、
前日のケルンのホテルよりもゆったりとしてました。
朝食を済ませ早速川岸に停泊する船へと移動。
船会社はどうも複数あるっぽい。
マインツのほうまで往復してる船もあるみたい。
そして他にも待ってる日本人団体客が多かった。
船の中はレストランとSUBWAYが。
SUBWAYに近いところの席に陣取り、出航。
ゆったりまったりとした船旅…
と思いきや、停泊所に泊まる度、乗ってくる乗ってくるアジア人。
主に中国系、次に東南アジア系。
ここはどこや、アジアか。
うるさいなーと思いながら、ちょっと外に出てみようと上へあがるところで、ワインの販売所が。
どうも日本の会社が現地のワインを日本に輸入して販売しているみたい。
試飲もさしてくれて、購入すれば、後日自宅に発送します、というシステムのものでした。
会社が信州だったので、おそらく既に日本に輸入して在庫を抱えているんやろうなぁと。
いくつか試飲させてもらって、名前忘れたけど確か下にあるこれだったような白ワインを購入しました。
めっちゃおいしかった!けどホンマワインには疎いわ…もっと勉強せねば…
そうこう時間を取られているうちに、どうやらこの船旅のハイライトである名所、
「ローレライ」を見逃してしまった模様。
妻にだいぶ怒られました…
妻はチラッとは見たそうですが。すみません。。。
妻が撮影したローレライ。
ローレライ(ドイツ語: Loreley)は、ドイツのラインラント=プファルツ州のライン川流域の町ザンクト・ゴアールスハウゼン近くにある、水面から130mほど突き出た岩山のことである。
この岩山は、スイスと北海をつなぐライン川の中で、一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあって、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした。 この「ローレライ付近は航行の難所である」ことが、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」という伝説に転じ、ローレライ伝説が生まれた。
デッキの上はほとんどアジア人でした。
2時間ほど乗船したところで、St.Goar(ザンクト・ゴアー)に到着。
すぐ裏が山なこじんまりとした川沿いの港町。
少し歩いて先回りしてたバスに乗り込んで山の上へ。
すぐ山に上がると広がる高原。
昔のお城をホテル兼レストランに改築した「Schloss Reinfels」に到着。
なんとまぁ素晴らしい景色でしょう。
晴れててよかった。
本日の昼食はこちらで。
建物内のなんとまぁオシャレなこと。
お手洗いまでスタイリッシュ。
こんなお手拭きの並べ方初めて見たわw
座席からの眺めも素晴らしくて。
何度でも繰り返す、晴れていてよかったと。
トマトブイヨンスープの後のメインディッシュはサーモンwithほうれん草。
ドイツにしては繊細で優しい味で美味しかったけど、
添えてくれているリゾット的な米がタイ米だったので残念。
そしてあんまり飲み物にお金かけすぎるのもな…と思って何も頼まなかったんですが、
同席の老婦人から「飲みきられへんからどうぞ」とワインを一杯ごちそうして頂いて。
それがまた美味しい白ワインだったんですわ…ありがたや。
このラインフェルス城にはお土産屋さんも併設されているのですが(奥の建物)、
思わず「これは…伝説の剣…!」とか思わず厨二病が発症してしまうようなラインナップ。
日本の和風なお土産屋さんがJAPANESE SWORDとかNINJA手裏剣とか売ってるのと本質的には変わらないんやろうなぁw
ちょっと欲しかったけど、飾るスペースもないし持って帰るの面倒なのでやめときました(´ω`)
そして再びバスに乗り込んで、
2時間弱ぐらいかけて次の街、ハイデルベルクへ。
山城なので、坂が急。
バスで登れるところまで登ったので、少し歩いて到着。
まぁなんと赤いお城でしょう。
「古城」という表現と「遺跡」という表現の間に位置するようないで立ち。
彫刻の一つ一つが素晴らしい。
説明はWikiに頼りますw
ハイデルベルク城(Heidelberger Schloss)は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルク市に遺る城趾である。ドイツで最も有名な城趾の一つであり、ハイデルベルクの象徴的建造物となっている。プファルツ継承戦争で破壊されるまで、この城はプファルツ選帝侯の居城であった。1689年にルイ14世の軍によって破壊され、1693年に一部だけが修復された。この城趾はアルプスの北側で最も重要なルネサンス建築の遺構を含んでいる。この城はケーニヒスシュトゥール(「王の椅子」)という山の北斜面、マイン渓谷の底から約80mの高さに位置し、旧市街の風景を決定づけている[1]。
Final Fantasy Tacticsに出てきそうなデザイン。
大樽棟に入ると飲めるスペースが。
ワインがメインみたい。
さらに奥に入ると大きな酒樽が。
どうも貯蔵庫だったようで。
これもWikiより。
大樽棟(Fassbau)は、この建物内にある巨大な樽にちなんで名付けられた。
大樽棟は、大樽のために特別に1589年から1592年にかけてヨハン・カジミールによって建設された。この建物は王の広間と隣接しており、祝宴の際ワイン貯蔵庫と宴会場が可能な限り近くになるよう設計された。
建設当時にはすでにルネサンス様式の時代に入っていたにもかかわらず、この建物は後期ゴシック様式で建てられている。
現在の大樽は4代目の樽である。代々の大樽にはそれが造られた時の選帝侯にちなんだ名が付けられている。
- ヨハン・カジミール樽 1591年
- カール・ルートヴィヒ樽 1664年
- カール・フィリップ樽 1728年
- カール・テオドール樽 1751年
初代大樽のヨハン・カジミール樽の容量は約127,000リットルであったが、代を追うごとに大きくなっていった。現在のカール・テオドール樽は建造時 221,726リットルであったが、木材の乾燥により 219,000リットルほどの容積となっている。
選帝侯カール3世フィリップが樽の監視を命じたワイン好きの享楽家のシンボル、ペルケオの人形が大樽を見張っている。ペルケオは、カール・フィリップが選帝侯に就任する前、皇帝のチロル代官として赴任していたインスブルックから宮廷道化師として連れてきた人物であった。伝説によれば、選帝侯が大樽の酒を飲み干すことができるかどうか尋ねた時、「Perché no?」(イタリア語で「なぜ、できないの?」)と答えたことからペルケオ(Perkeo)と呼ばれるようになったとされる[8]。
ペルケオはワインを唯一の飲み物として子供の頃からこれを飲み続けており、1日15本のワインを飲んでいた。彼が年老いて初めて病気になった時、医師はワインをやめて水を飲むように指導した。疑いながらもペルケオはこの助言に従ったのだが、その翌日に亡くなった。
ハイデルベルクの大樽はハインリヒ・ハイネの『歌の本』、ジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』、ワシントン・アーヴィングの『The Specter Bridegroom』、マリー・ハーゼルトンの『ベルタ』、マーク・トウェインの『ヨーロッパ放浪記』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』などで言及されている。
ということらしいです(適当
この「ペルケオ」の人形が壁に取り付けられてて、
紐で引っ張ると動くようになってました、確か。
バスへの戻りしなには、「エリーザベト門」の前で記念撮影。
エリーザベト門 (Elisabethentor) はイギリス王女のエリザベス・ステュアートに由来する。
シュトュックガルテンの入り口はエリーザベト門である。この門の建立はイギリス館やディッカー塔の劇場の改築と同様に、フリードリヒ5世が妻エリザベス・ステュアートの栄誉のために行ったものである。
この門は1615年、彼女の20歳の誕生日に若い妻を驚かすために一夜にして建設されたとされるが、これを裏付ける文献上の証拠はない。献呈の辞にはこう書かれている。
FRIDERICVS V ELISABETAE CONIVGI. CARISS (IMAE) A(NN0). C(HRISTI). MDCXV. F(ACIENDUM). C(URAVIT)
(フリードリヒ5世が愛する妻エリザベスのために1615年にこの門を造らせた)
この門の前でキスすると恋愛成就というか縁結び的な何かがあるとかないとか。
そんなお話聞いたような。
ハイデルベルク城を離れ、城からも見えた「カールテオドール橋」へ。
別名「アルテ・ブリュッケ(古い橋)」とも。
ドイツで最も古い橋の一つと言われているそうで。
橋からハイデルベルク城を眺めるとこんな感じ。
橋には塔も建ってます。
橋から街の中心へ。
この右側にある黄色い建物、
「GOLDENER HECHT HOTEL」
覚えてる話が正しければ、その昔ゲーテがよく泊まったホテルだったかと。
ゲーテは後日また出てきます。
マルクト広場。
オープンテラスでビール飲んでる人の多いこと。
そのマルクト広場のすぐ隣、
ハイデルベルクで一番有名な「聖霊教会(福音教会:Heiliggeistkirche)」。
教会の隣には「ツム・リッター(Hotel Zum Ritter St.Georg)」という、
ハイデルベルクで現存する最も古い建物があります(1592年)。
泊まれるんだぜ…?
そうそう、ハイデルベルクという街は学問や研究機関の多さでも有名で、
ハイデルベルク大学というドイツ最古の大学が。
ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク - Wikipedia
ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク(ルプレヒト・カールだいがくハイデルベルク、Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg)は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルクにある大学。1386年、プファルツ選帝侯ループレヒト1世によって創立されたドイツでは最古の大学であり、フンボルト大学ベルリンなどと並びドイツ有数の世界的な大学である。通称はハイデルベルク大学。ドイツにおけるエクセレンス・イニシアティブ (Exzellenzinitiative) に指定された11大学の一つ[4]。1803年、ハイデルベルクを領有したバーデン大公カール・フリードリヒにより、現在の名前に改められた。
この時のガイドさんの説明では京都大学と提携してるという話でしたが、
大学の街、ということで、学生による自治も行われていたそうで、
学生による取り締まりなんかもあったらしく、「学生の牢獄」なるものがあったとか。
しかしそんな厳しいものでもなかったらしく、形だけだったという話も。
学生自治とか、このあたり、耳にする京都大学の学生寮の話と通ずるものがあるようなないようなw
街中は人がそれなりに多かったけど、基本落ち着いていてオシャレで。
少し開けたところに出ると、ハイデルベルク城が視界に入る、といった街でした。
入ってないけど、「赤い雄牛」亭と言われる「Zum Roten Ochsen」、
ここもハイデルベルクで有名な所らしく、マリリンモンローはじめ有名人が多数来たとか。
そしてバスで少し移動して、今夜の夕食会場へ。
お城からは離れたところ。
頼もしいビッグ・ママ(言葉の通り)が振る舞ってくれる、家庭的なドイツ料理店。
「zum Hutzelwald」
Gaisbergstraße 93, 69115 Heidelberg, ドイツ
まずキッチリとビールを。
確かグラスのとおり、「Eichbaum」のヴァイツエンとデュンケルだったかと。
味は美味しかったことしか覚えてません(^q^)
そして、奇跡的に季節のメニューとして、Spargel(白アスパラガス)が!
ちょっと時期早かったみたいですけど(基本4月末~6月24日までしか出回らない)、
在庫あったので出してくれました。
うんまい。
そしてメインは「マウルタッシェ(Maultasche)」(右)。
(左下のポテトのレモン和えもすーごく美味しかった!簡単なレシピ聞いたのに忘れたわ…)
パスタ生地の中にひき肉・ほうれん草・パン粉・たまねぎを詰め、パセリやナツメグでフレーバーを加えている。ダンプリングの一種であり、イタリア料理のラヴィオリに似ているが、それよりも大きく、 8cm から 12cm の大きさである。通常、一人分として二つまたは四つが供される。
シュヴァーベンには、聖金曜日にこれを食べる伝統がある。現地での言い伝えによれば、マウルタッシェの由来は、元々金曜日には肉が食べられなかった宗教的な背景から、どうしても肉を食べたい人が肉をパスタ生地の中に隠せば神様からは肉が見えないので見つからないだろう、という発想から作られたことにあるという。
いわゆるドイツ式餃子とでも言いましょうか。
断面はこんなん。
ビッグ・ママの大らかさに癒されつつ、ホテルへと移動。
今宵のホテルは「Crowne Plaza Heidelberg City Centre」
Kurfürsten-Anlage 1, 69115 Heidelberg, ドイツ
ホテルの設備は
・ドライヤー…○
・スリッパ…×
・湯沸しポッド…○
・冷蔵庫…○
・Wi-Fi…○
・金庫…○
落ち着いた綺麗な部屋。
そしてなんと
嬉しいサプライズが。
どうやらハネムーンやってことをホテル側に伝えてくれてたらしく、
お祝いのチョコとフルーツ、そしてお手紙。
ちょっと感動。
便利なことに、ホテルの隣にREWEがあったので、
水等買い込んで戻り、泥のように眠るのでした…